わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

私が気にするほどの相手か?

ちょっと上から目線な言葉だけど、
気に障る言動をする人がいる時に
「考え続けてしまいそう」
と思ったら、

『私が気にするほどの相手か?』

って言葉で切り離すようにしてる。


例えば、
こっちが何も言わないのをいいことに
自分の好きにやる人。

言っても伝わらない、
めんどくさいだけっていうのが分かってるから
好きにやらせとこう状態なのに
いつも我が物顔のあの人。

気になった時
『私が気にするほどの相手か?』
って言葉を自分にかけると
『そうでもない』
『大したことない』
って言葉が返ってくる。

そこで『うん、そうだよね』って
スルーに転じると
中々スムーズに意識をそらすことが出来る。


望まないことに意識を残したまま
望むことに意識を向けるのではなくて、

望まないことを切り離してから
望むことに意識を向け直す。

そうして気分を変えてあげることは
自分の中にある「こうありたい💕」を
叶えてあげること。

望まないことから意識をそらすのは
本当に大切なことだと思う。


「私が気にするほどの相手か?」
という言葉は、偉そうに聞こえる言葉だけど

実際、この世界の主は自分だから、

私が創造主である以上、
私以上の存在ってあるわけないんよね。

だからって
偉そうにしていいわけじゃないよ。
自分が一番だから
周りに傲慢な態度とって構わないって話ではない。

でも

私が世界の主役なわけじゃん。

一番素晴らしいのは
この世界を創ってる自分自身なのは変わらない。

だから
目の前の人の何を気にする必要があるのか?
ってことなんよ。

もしその人に対して
どうしても引っ掛かる何かがあるのなら、
それは満たされてない自分の欲求を
目の前にいるその人が叶えているから。

だったら
イメージングで今この瞬間、
自分が満たされてないと感じる欲求を
思う存分満たしてあげればいい。

ぶっちゃけ周りの人って
そういう信号を与えてはくれるけど

逆に言えば
そういう信号を送ってくれるだけなんよね。

「こういうところが満たされてないよ」
「不満に思ってるよ」
「嫌がってるよ」
「こうしたいと思ってるよ」
「これを望んでるよ」

そういう信号を見せてくれたら
もうそれで終わりっていうのかな。

表現者である以外の何者でもないんだと思う。


その信号を受けて、私たちは
「あぁ、自分はこう思ってた」
「こうだった」
って内面を見直す。

すると、目の前の景色が
内面に応じて変わってくる。

その"創造"において
周りの人ってホントに
信号を与えてくれる以上の関係はないじゃない?

その信号を受けてどうするかも含め
すべて私次第なんだもん。


私がとらわれてるその人、
本当に私が気にするほどの人なの?

この視点は
結構役に立つ。