わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

以前には戻らない!

最近、自分の意思を尊重して過ごすことが
以前にもまして増えたんだけど

家族と過ごす時間が減って、
『自分だけの時間を過ごす』
その中で思ったのが

私が親兄弟にされてきたのは
精神的虐待だったのではないか、ということ。

自分の時間や思いを犠牲にする形で家族と
過ごしていた時は、全ては『自分の感じ方の問題』と思っていて『虐待だったのでは』とハッキリ思ったことはなかったんだけど

自分の時間や思いを尊重して過ごすようになってからというもの
確かに私は
「傷つくことを言われ」
「けなされ」
「バカにされて」
すっごく嫌な思いをしたんだよねっていう気持ちを
実感するようになった。

そういう『私が受けた心の傷』について
家族に意識してもらったことは一度もないし
(意識してたら、私の自尊心を傷つけるような言葉をわざと言ったりしない)
『私の人権』というものを尊重してもらった気も
全くしない。
(何もかも合わせないと機嫌が悪くなる人達だった)


たくさんたくさん奪われた
私の時間。
気持ち。
意思。
あまりのことに悲しくなるくらい、私は私として生きていなかったなと感じている。


とはいえ【現実は内面の投影】だから
私が先に『自分はこんな程度なんだ』って見下げたから、それを感じさせる周りだったんだと思う。

周りに傷つけられたのではなく
『私が私を傷つけていた』だけで、

周りに何もかも奪われたのではなく
『私が私からすべてを奪っていた』

というだけなのかもしれない。

だから【自愛】。

『自分で自分を愛し、
自分で自分に幸せを与えてあげること』

これが何より大事なんだってことが
しみじみ分かる。


今も、自分の好きに過ごしたり、望むものを選択したりする過程で、満足感や充実感、喜びもたくさんあるけど、それと共に罪悪感も変わらずにある。

もらってはダメ、受け取ってはダメって思っていたから、そういう感情にはまだまだ抵抗あるんだと思う。

責められるような気がするんだよね。
ホント根深い。


でも、大切なものたくさんなくしてきて
こういうのはもう嫌だ、理不尽だって思ってきたから、泣いてもわめいても諦めずに、ここまで来たんだもん。
歯をくいしばって苦しみに耐えた時もあった。習慣となっていたマイナス思考に引き戻されそうになったことも何回もあったよ。

それでも、もう嫌だって骨身に染みてたから、
変わることへの抵抗にも負けないで
幸せをいま感じることが出来るようにまでなったんだもん。
責められる気がするからって、嫌われる気がするからって、もう前の自分に戻るのは絶対にいや。


体調を崩して、本気で幸せになるって決めてから
今月で丸2年経つんだよね。
我慢しか知らなくて、自分の気持ちも全く分からないってなってたあの樹海の闇から、自分の気持ちを優先出来るこの状態まで上がって来るまでの大変さも険しさも、ホントに二度と繰り返したくない。

自分の心が招いたことであるならなおのこと
『幸せになる』っていう意識、覚悟、決意を
取り下げない。
その幸せは『いつか』ではなく
『いまのこと』。

先送りにしないで、
いま受け取って
いま幸せを感じて
いま満足を選ぶ。


私はもう絶対に
以前の私には戻らない。

あちらにはいかない。

決して。