わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

2018年2月のこと

パワハラを受けていた仕事を
2月いっぱいで辞めることに決めたわたくし。

次の仕事の面接の日取りも決まっていたし
なんとかなると思っていた。


ところが。


新しいところに面接に行った時、
家族のことを聞かれたり、
履歴書の片面しか見ずに「この後どうしてたんですか?」と得意気な顔で聞かれたり、

なんかおかしいというか、
どうしても先方に良い印象を持てなかった。

その場で「ぜひ!」と言っていただけたものの、
面接での印象が拭い去れず、
結局辞退することを決めたのだが

辞退したあと、張ってた気が抜けたこともあって
私の2月はすごく苦しい吐き出しタイムとなる。


それは多分、気が抜けただけではなくて
好転反応でもあったと思う。
全ての時間を費やす勢いで、潜在意識に関する
知識を読みまくって詰め込んでいたので

これまで軸となっていた古いものが保たれなくなり気が緩んだ隙に、一気に押し出される形になったんだろうなと。

それにしたって
ホントにホントにひどい2月だったけどね💦

何もしてないのに涙が込み上げてきたり、
かと思ったらすごく前向きになったり、
とにかくメチャクチャ不安定💦
日替わりどころか、数時間で感情が変わって
本当にしんどかった。

しかも出てくるのは、子供の頃に味わった覚えのある嫌な気持ちばかり。
無視したり抑え込んだりしてたものが噴き出している自覚はあった。
「こうして出てきた時に解放してあげなくては繰り返す」と思っていたので
繰り返さない為にも、その気持ちを感じきったりしていたんだけど、

後悔やら反省やら悲しさやらばっかりだったから
とてもキツかった。

窒息しそうな不安や孤独。

自分という存在を肯定することができない不安定さ。

仕事も
お金も
恋愛も
家族に関することも何もかも
あらゆることが全てダメ。

絶望しかなかった。


いまから振り返っても
2月のあの3週間は、ものすごい闇だったと思う。

数時間~24時間のペースで大きく変わる感情。

その振り幅の大きさの根っこにある存在否定と
幸せになりたい気持ちの引っ張り合い。

キツかった。
ホントに疲れた。


でも、ちゃんと終わりはきた。

それが終わったのは2月の終わり。
「もう無理だ」って、全てを諦めかけたとき。

もうね
「幸せになるとかどうでもいい」
って思ったんだよね。

あまりにしんどくて
「私は幸せになるの無理なんだ」って思った方が
楽だったの。


自分の子供時代を消したくなって
子供の頃から残しておいたものとか
写真とかを全部捨ててやろうと思った。

我慢ばっかりしていた子供時代。
出てくるのは辛い気持ちばっかり。
そういうのを抑えるしかなかった子供時代。
我慢するしかなかった子供時代。

もう思い出したくもなかった。

どうせ良い思い出なんかない。
全部なかったことにしたい。


そう思って
一式を詰め込んでいた箱に向かい合った。


でも。


皮肉にも、捨てようとしたそれらをみたことで

「私は、幸せではなかったけど、
ちゃんと家族の中にいたんだ」
と認識することになり

それが自分の存在を肯定することに繋がった。


家族と撮った写真。
弟たちからもらった手紙。

私は、家族の中で
邪険にされたと感じるほど
たくさんたくさん傷ついていたけれど

家族なりの愛され方をしていたんだ、と思った。


ブログを始めてからも何回か
家族のことを書いていたことからも分かるように
ここでスパッと全てを割りきれたわけではない。

でも
あれほど苦しかった毎日の乱高下は

「写真で一人だけ撮られない、なんてことなかったんだ」
「手紙を書いてもらってたんだ」
というところから

愛されていたんだと気付いて泣いたことで

結構あっさり終わることになった。