わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

真逆の『類は友を呼ぶ』の実例

最近書いている『真逆の類は友を呼ぶ』とは、
簡単にいえば、

ハッキリ物を言えない弱気な人が、
ハッキリ物を言う強気な人、
つまり、
自分とは逆の性質を持つ人と出会うことです。

そういう人と出会うことで
「自分は言葉を選べる人だ」と感じたり、
あるいは
「ハッキリ言うことも大切だ」と感じたりする。

また、仕事の出来る人が、それほど能力の高くない人と一緒に仕事をすることで、

「自分はこれだけのことが出来るんだ」と認識したり、あるいは、
周囲をレベルアップさせる方法や、人を育てていく根気強さを学んだりする。

それらは『類は友を呼ぶ』を正位置とすらるなら、いわゆる『逆位置』です。
自分と反対のものから学ぶ為の出会い方です。

だから、人の振り見て我が振り直せの姿勢はいいけど、だからといって、いまの自分の在り方を「良くない」と否定する必要はなく、また、自分と異なる性質に合わせようと頑張る必要もなく、単に『違うからこそ学べること』に意識を向けたらいいんですよね。

自分も否定せず、相手も否定せず、単に学べることを学んだらいい。腹が立つので、その時は否定しちゃいますけど(^^;
でも、その意識を持っていると、否定した地点で止まることはないので、その出会いは結果的にプラスに働くんですよ♪


いまの職場でいうと、周りはホントに子供です。病気なのか?!と思うほどのお喋り💦何かあるとそれをキッカケに喋りだして止まりません。

本人たちは問題だと思っていないので自制できませんし、上司もコミュニケーションの範疇だと思っているのか注意できません。むしろ一緒に騒ぐので、学校で例えるなら学級崩壊といえるでしょう💧授業にならない=仕事にならないレベルですよ。

実際、まともに定時で終わってません。残業については、お客様の都合もあるので仕方ありませんが、喋ることで手が止まってるのも大きいと思います。

もうひとつ弊害として、喋ってるうちの1人はミスが多いです💦自分に注目がないとダメなので、お喋りしてない時もブツブツ1人で喋り “大変な私” を演出することに必死。ちょっとした事で「わたし大変~💦」的な騒ぎを起こし、喋りだしたら止まらず、そんなところばかりに力を注いでいるから、そりゃ仕事は手薄になりますよ。
それを注意するどころか、まともに相手をする同僚や上司・・・

全体的に幼いと思います、ホントに。


その点、私はとことん逆です。

私語反対派ではないですが、今の仕事はバリエーションが多く、集中していないと間違えるという危機感から喋りません。
おかげでミスが少なく、その点は褒めてもらえます。状況に合わせて動くことが出来る、ということです。

また、以前の私はよく喋る方で、それをコミュニケーションだと思っていたんですが、それは人によって違う事を学んだので、意識的に控えてるんですよね💧

そういう配慮や、仕事に対する姿勢、段取り、あらゆることについて、ここにきて初めて、自分が「かなり高度な意識を持っている」と感じました。

自分が子供だから子供に出会ったのではなく、

「私って意外と大人だな」
「私ってこんなに考えてるんだ」
「普通と思ってたけど違うんだ」

ということを、逆を通して知れたんですね。

それはもちろん、子供である周りが下とか、大人である私が上とかではなく、性質が違うというから分かった、ということです。

タロットカードでいうところの、節制のような感じでしょうか。異質なものの融合によって生まれた化学反応です。


私は、現状に満足することがなく、常に上を目指す性格です。現時点の自分を褒めない為、常に自分の不足を見ていました。
「あれが出来ない」とか「克服できてないからこんな風に考えてしまうんだ」とか、不足を見出だして改善策を練るのが得意です。

でも、今は周りを見ていて、
「今の自分、そんなひどくないぞ」と感じています。むしろ「すごいのかも」とさえ思うこともありました。

と同時に「能力を伸ばす向上心は大切だけど、常に高みを目指さなくても、今の時点で出来ることをやって満足することも大切だな」と思いました。

全て、異なる性質をもっていたからこそ馴染めず、だからこそ見えたこと、分かったことだと思います。

これは本当に、自分を正当化しているわけでも、傲慢でもなんでもなく、冷静に見た上で感じたことです。

多分、もし周りの人にも学ぶという意識があったなら、似たようなことを感じていると思います。例えば『向上心も大切だな』とか『今の時点に満足してるのはいいことだな』とか。
聞くことはないので想像ですけどね(^^)

無駄な出会いは何一つないんだなと思います。