わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

罪悪感をかわしてきた道のり

私には罪悪感がありました。
自分が幸せになることへの罪悪感。

それは酷いもので、例えば、化粧水ひとつ買えないんですよね、自分のために。
唇がカサカサしていても、リップクリームひとつ買えない。
買うことが怖い。
頑張って買ったとしても、使えないんです。
使うと自分が幸せになると分かるから。

化粧水で肌が潤った時、気持ちいいじゃないですか?カサカサの唇がリップクリームで潤うのもいいじゃないですか?でもダメなんですよね💦申し訳ないと思ってしまう。

その理由は、母親との関係にありました。

私の母親は、母親らしくない母親でした。
友達を目指すというんでしょうか。
対等であろうとするんです。娘に対して。


長くなるのでカットしますが、私が私の好きなものを買って帰ると「私の分は?」と本気で聞いてくるんですね。「ない」と答えると平気でふてます。フリじゃないです。本気です。

友達と遊びに行く約束をしても機嫌が悪くなりました。あらゆる面に置いて、自分もセットじゃないといけないんですね。母親だけが取り残される状態というんでしょうか?そうなると機嫌を損ねます。

普通に口聞かないとかもありました。

めんどくせー話ですよね😓

でも、めんどくせーんですけど、子供っていうのは機嫌をとるしかないんです💦少なくとも私は、そうするしかありませんでした💦

するとどうなるか。

段々「これをすると母親はどうなるか」というのが、行動基準になっていきます。

『母親が求める良い子』になろうとするんですね。

全てはめんどくせーからです。
そうしとけば大人しいからそうする感じです。


どっちが親だって話です💧


おかげさまで、私は私の為に何も出来ない子になってしまいました。

『自分の幸せを考えるのはいけないことだ』
『自分だけが幸せになるのはいけないことだ』

という観念が成立してしまったんです。

しかもそれは、年月を重ねるなかで、

「周りが幸せでないのに私が幸せになるのはいけないことだ」

という、母親以外をも巻き込んだ、訳の分からないひん曲がりを起こしました。

それだけ強烈に自分に言い聞かせないと、私はそれをしてしまうからです💦より強い禁止命令を出し続けた結果、そうなってしまいました💦自分が幸せを感じることへの罪悪感は、より強いものになりました😓

おかげさまで「リップクリーム欲しいな」と思っても買えません。
恐ろしいことに「私以上にカサカサで辛い人もいるのだから我慢」などと考えてしまうんです。

なんじゃそら???って思いませんか?私は思います💦でも、あの頃はそう思って、禁止していました。
それが、自分が安全に生きる術だったからです。
親の機嫌損ねたら、生きていけません。

でも、その術から生じた罪悪感が、私をずーっと苦しめることになったんですよね。

幼い私が、私のために習得した術が、大人になった私を苦しめるというのは悲しい話です😓

でも、仕方ありません。それしかなかったのですから😊


私は、この一連の関連性に、ずっと気付けずにいました。
点と点、つまり、罪悪感の存在や、母親との関係に嫌な気持ちがあることなどは次第に認識したけれど、それを結びつけてはいなかったんです。

それらが結び付いたのは、罪悪感をなんとかしようとするのを止めて、ひたすら自分の声を聞き始めた後でした✨

私は、以前も書いた通り、何もない日に、自分の為だけにケーキを買って帰ることが出来なかったんです。いまはスイスイ買えますがw

それが出来るようになったのは、なぜ罪悪感があるのか?と考えるのを止めて、ひたすら自分の声を聞くようになってから。

ある時、ケーキが欲しいと心が言った時に「じゃあ行こう!」と勇気を出して買いに行ったんです🍰

それは小さなカットケーキ。
400円もしない普通のケーキ。

でも、やっと買えました。

母親の分や家族の分は買いません。
自分だけに買いました。

ものすっごい罪悪感ありました💦
後ろめたさもすごかったです💦

でも、そういった気持ちをなんとかしようとはせず「わたしが食べたいんだ!」で貫いて買いました。
めっちゃドキドキしてましたw

その日は、それを買えたことだけ褒めまくりましたし、買えた自分にすごい満足しました🍀そうして買ったケーキを一人で堪能しました🍰
とても幸せでしたよ✨

その他にも、自分だけがコーヒーを飲む、ということもやりました☕️(それまでは、飲む時に母親に聞いて、飲むと言えば淹れてあげてました)

自分だけがお菓子を抱え込むこともしました🍪(それまではシェアが当たり前でした)

それらは小さなことですが、全部自分のため、自分だけのためにやりました。

罪悪感がありつつも、そういう時間を少しずつ、意識的にチョイスしていった結果、罪悪感がありつつも、私の意思を尊重した行動がとれるようになりました🌸

これが私の、罪悪感をかわしてきた道のりです。

罪悪感がありつつでいいんだと思います。
自分の声を聞いて、そこに誰かを絡めずに、自分の為だけにしてあげる。

その一歩の積み重ねで、罪悪感は薄れると思います。自分への許可ですね。

いまでも罪悪感は出てきますよ。
「私なんかが」ってすぐ思ってしまいますし😅

でも
「やりたいの?どうなの?」
「欲しいの?今はいらないの?」
って聞くことが定着してるので、

「やりたい」といえば貫いてやりますし、
「欲しい」といえば「じゃあゲットしよう!」ってなります😊

厄介だからこそ「なんとかしようとしない」。
直接的ではない対処をするというのが、罪悪感をかわすには有効な面もあるかもしれませんね。