わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

なっが~い吐き出し

どうしたらいいのか不安になることが
手元にある(T_T)

それは
右に転んでも、左に転んでも
なんらかの不安や戸惑いが付きまとうことで
正直胃が痛い。

もし右に行くなら
自分の常識を打ち破らなくてはならない。

これには物凄くためらいがある。

自分の常識っていったって
自分が生きてきたこれまでの中で培われた
結局は他人の価値観だと思う。

だから
自分の気持ちや考えに従って
新しい価値観や常識を
自分で産み出したらいいのかなとは思うんだけど

ずっとそれを正しいこととして生きてきたのに、
それを打ち破る、引っくり返すというのは
かなり怖い。
正直言って、そんな勇気はない。

だって、それで生きてきた。
ずっとそれを正しいこととして生きてきたのに
そうじゃない方を選ぶというのは
「正しくないと思ってたきたことを選ぶこと」
な訳だから、

そりゃ怖いし、躊躇って当たり前だと思う。


その選択をしたら
何もかもが変わるんだよね。

全てが変わる。
周りの見方も変わる。

周りなんて関係ないって
人は言うかもしれない。
私自身、私の人生だし、
全ては私の内面の投影なんだから
気にしなくていいじゃんって
そう思うところもある。
望むことを描いていればいいって思うし
どんな人も明日は分からないんだから
周りを気にするよりも
確実にいるいまの自分の気持ちを大事にしたい。
そう思う。
それも本当。

けど
本当にこの一時に従ってしまっていいのか。

今はよくても
自分が基準にしてきたことを覆したこと、
それを後悔する日が来るのではないか。

未来のことなんて分からないとはいえ
今さえ良ければいいってことはないと思うんよね。

かといって、左を選ぶことは
いまの自分の気持ちに抗うこと。
いまの気持ちを無視すること。
ズタズタに傷つけることだから選びたくない。

こうだよ、ああだよって押さえつけて
我慢させて痛め付けることは、
しんどいし、本当に長く続く痛みを与えることだから。

私は、ずっと長い間、そうやって生きてきたからね。
周りの常識に合わせる、
それが安全に生きる術だったから
自分の気持ちを否定して、ねじ曲げて、
その枠に当てはめることを当然としてた。

だけど、そうやっていまの気持ちを無視することが
どれだけ自分を傷つけることになるのか
苦しめることになるのか
それが身に染みてるから
ほんっとに選びたくないんだよね。

もうね、完全に真反対の考えに押し潰されて
身動きが取れない。右も左も選べなくて
たくさんの気持ちや考えが頭をよぎる中で
どうしよう、どうしようって不安が沸き上がって
吐き気がする。
ホントにどうしようもない気持ち悪い時間を
何時間も過ごしていたんだけど orz

こうやって自分の気持ちを
客観的にまとめてみて思うのは

『自分がした選択で自分を嫌いになること』が
一番怖い、嫌なんだなってことなんよね。

右を選べば
いまの自分の気持ちを裏切ることはない。
だけど
きっと自分のことを嫌いになる。
だから
右を選ぶことが出来ない。

その点、左を選べば
これまで通りだから安心だし
自分のことを嫌いになることはない。
むしろ
自分の気持ちこそ犠牲にしたけど
周りを巻き込まなかったこと、
安全を確保出来たこと、
納得するし、満足すると思う。
でも、そのぶん私は
私に否定され、ねじ伏せられ、我慢させられたことに
ズタズタに傷ついて、惨めになる。

そう。

それは
本当には幸せになれない選択だと分かってる。
いまを犠牲にして
未来の安全を確保しても
ずっと悔やむこと
ずっと惨めであることが分かってる。

自分の気持ちを偽らなきゃ生きてこれなかった虚しさ。
それがどんなに尾を引くことか。

ずっとずっと付きまとってくることを
私は知ってる。

自分の気持ちをねじ伏せることを積み重ねて
ここまで生きてきたから分かる。
その選択に
周りの幸せはあっても
自分の幸せはないってこと。

だから選べないんよね。

私の中には、自分の幸せや安全のために
『自分を犠牲にしなきゃいけない私』を繰り返すことは
もう二度としたくないっていう思いが
経験から生まれてあるんだと思う。

だけど、それはそうなんだけど
いまの自分の気持ちに従うことは
あまりに抵抗が大きい。

本当はそうしたい。
従いたい。
けど
そうはしたくない。
それを選ぶ自分のことが
好きではないから。
だから
わざと遠ざけてる。

でもきっと、
ううん
絶対悔やむって分かる。
そうしたい気持ちに従わなかったこと、
ムリヤリ理屈つけて諦めたこと、
嘘ついて、偽って遠ざけたこと自体にも
私は絶対傷ついて苦しむ。

実際、いま既にそうだもんね。
すっごい悲しくて
失う怖さとか
諦める苦しさとかが去来して
すごく辛い。

どうしてこんな思いしなきゃならないんだろう。
もっと単純に、純粋に幸せでいることが
どうして出来ないんだろうって思ってる。

自分に従う右の選択
抗うことになる左の選択

どっちが幸せなんだろう。

結局私は、私がされたくない選択を
したくないんだよね。

右は、私がされたくない選択。
だから、右を選んだら
きっと自分のことを嫌いになる。

左は、私がされたい選択。
でも、いわゆる良心ってやつだから
良い子な選択だから
きっと私は、私を否定した私自身を見下すわ。


私が強くないだけなんだろうか。
もっと
周りを犠牲にしたって構わない!
幸せになる!
思った通りに生きる!
そういう覚悟があってもいいのかもしれない。
私はずっと、譲って、我慢してきた子だから
そのくらい思って丁度良いのかもしれない。

その強さを持つ為に
この問題というか
岐路が与えられた気もする。


けど、正直言って
いまの自分ではもうどうしようもない。
どうすることも出来ない。

どっちを選んでも
きっと私は私を嫌いになる。

ベースは
どっちを選んでも私は幸せになるっていう考え方だし
どっちを選ぶにしても
私は私を嫌いにならないってそう決めればいいと思う。

けど、今はどうしても
その選択について来る周りの目や
自分に対する自分の見方が気になって
どっちを選んでも越えがたいものがあって
身動きがとれない。

かといって宙ぶらりんも辛いから
胃が痛むんよね...(ーー;

考えすぎなのかもしれないと思う。
純粋に幸せでいたいと思いながらいられないのは
私があれこれ考えて
複雑にしてるからかもしれない。

だけど...。

私だけ幸せって訳にはいかないよ...。

悪いっていうか
変な話、私の選択の裏で泣いてる人がいたら
それはやっぱ嫌だもん。

それはその人の問題だから
私が抱える事ではないんだけど
私がそれを選ばなかったら
その人は泣かなかったかもしれないって
考えちゃうんよね。

これは、喧嘩ばっかりだった両親を見る中で
思ってきたこととおんなじ。
私が出来なければって、よく考えていたから。

私はよく
人の問題を我がことのように抱えて苦しむんだけど
それはやっぱり
そういう見方をしてきたからなんよね。
自分が悪い、自分の責任だって考えに
結びつけてしまうの。

確かに、全ては私が創ってるんだけど...

その人がそうである原因は
私ではないんよね。

その人の中の何かが
そういう出来事を引き寄せた。
その人の責任なんだよ。

その人の責任なのに
どうして私が抱え込むのか。
どうして私は私を悪く言うのか。

だから「やっぱ私が悪い」って思う出来事が来るんでしょ?

多分、私が私を嫌いになるのが怖いのは
誰かを傷つけた、自分のせいで誰かが犠牲になったって
そう思うのが怖いだからだよね。

そういう自分は嫌われる
ここに居られなくなる

だから嫌われないように、
世間から除け者にされないように、
私は私を犠牲にして
一番守られるであろう選択をしてきた。

誰に守られる選択?


母親。


そう、私は母に嫌われるのが怖かった。
見捨てられるのが怖かった。
要らないって言われるのが怖くて
嫌いって言われるのが怖くって
母親が我慢してるのは自分のせいなんだから
私も我慢しなきゃ。母親を助けなきゃ。

良い子でいなきゃ、嫌われたらどうするの?
母親に相反して、放置されたらどうするの?

そう。
自分の望み通りの選択なんて
出来る状態じゃなかった。
そんなことして良い私じゃなかった。

怖かった。
だから従ってた。

本当は怖くて、
痛くて痛くて仕方なかった。

自分の気持ちに従うことが
今度はいつ誰を傷つけるのか怖かった。

生まれてきたかった自分の気持ちが
母親を傷つけたと思ったから
これ以上傷つけてはいけないと
母親が当たり前としてることや
世間の大多数に従って

そうすることで、母親を傷つけた自分を殺してた気がする

思えば、親との関係で安心したことなんて1度もない。

母親に受け入れてもらえそうか否か。
それが全ての判断基準で
いまもそれに支配されてるとするならば

自分の気持ちに従う右は選べないよね。
それは母親の基準と絶対違う。
選べば怒られる、呆れられる、咎められる。

かといって
自分の気持ちを大切にすることを身に付けてきた私にとって
自分の気持ちをオール無視する左は選べない。
それは長く続く苦痛こそ与えど、
幸せは与えないって知ってるから。

それに、自分が誰かのせいでしんどくても、
誰も代わってくれないって分かってから
我慢することのバカらしさも十分身に染みてんだよね。

母親の視野の狭さ、融通のきかなさも
自分をがんじがらめにしてたものを
自力でたくさん取り払ってきた中で感じた。

その狭い中に収まるなんて無理、
誰かの常識は、必ずしも私の常識にはなり得ないって
分かってたのに、

私はいま
誰目線で全てを考えているんだろう...