わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

素直な気持ち

いつからか
母親と妹が話してるのを見たり
その声を聞いたりすると
気持ちが悪くて仕方がなくなった。

今じゃホント
話してる声を聞くと虫唾が走るくらい(-""-;)
冗談抜きでイヤホン必須💦

音楽も動画も
何も流してない時でも
イヤホン耳に入れてたりする。

いま一番欲しいのは
ノイズキャンセリングのイヤホン。
かなり切実。
不意に声が聞こえて
その瞬間に鳥肌が立つことあるからね💦

でも、気持ち悪すぎて鳥肌が立つなんて
さすがにどうなのよって思ってた。
だけど
この『気持ち悪い』っていう感情、
自分の気持ちを押さえ込んでた頃の私が
よく感じていたものだってことに
気が付いたんだよね。


私は私を家族関係に合わせて
自分を偽りまくってた。
それはもう、ひどかったよ。
『自分』なんてものは全くなくて

そう、いま思えば召し遣い。

母親の機嫌を取るために
様子をうかがって
母親が望みそうな言動をとる子供だった。

母親との関係は
友達親子みたいな感じで
距離がすごく近い。

その距離感に依存していたところもあったけど
やっぱりいつからか、自立心というのかな。
その関係をうっとうしいと思うようになって、
おかしいと感じるようにもなった。

距離が近いわりには
愛されてる、大切にされてるとは微塵も
感じなかったしね
今から考えても、相当重たくて
うっとうしかったと思う。

でも、自分を偽って当たり前だった私には
そんな気持ちを表に出すことは出来なくて

表に出さないために感じないように封印して
我慢してた。

だけど
親が親として機能してない状態での友達親子って
仲が良いのではなくて
むしろ崩壊した家庭環境の象徴だよね。

私には
崩壊した家庭の中で
『精神的な親』がいなかった。

悩みごとの相談も、感情の発散もできず
それどころか
親の機嫌を損ねないように
早くから『親の親』であるしかなかった。

自立心が芽生えて
嫌だと思っても
おかしいと思っても
母親の癒着から離れることが出来なかった。

仲が良いを通り越して近すぎる距離が
重くて窮屈で仕方なくても
我慢するしかなかった。

『親の親』だった私。
機嫌を損ねてはいけない、かわいそうくらいに
思ってた。

だけど本当は
その状態、距離感が
気持ち悪くて気持ち悪くて
仕方なかった。

その時々で確かに感じていたそれは
長いこと『我慢』という形で
封印されていたけど

自分の気持ちを認め
優先出来るようになった今
遠慮なく出てきて
随所随所で感じることで
吐き出されているんだと思う。

いや、その観念があるからこそ
それを吐き出させる出来事が起きていると
いうべきか。


とにかく

『気持ち悪いと思ってた』

これが嘘偽りのない私の素直な気持ちで
いま確かに感じているのだ。

子供の頃のような誤魔化しや
抑え込みを繰り返すことは、もうしない。

私は、私の気持ちを認めて
感じきる。